システム屋は情報システムをすべて肯定しないとだめなのか?

もちろんそんなことは無いと自分は考えています。で、その中で特に疑ってかかっている代表格が、自分の場合はメールであり ML なのです。

この業界に深く居る人間ほどメールに依存し、メールで重要事項を連絡し、それに満足し、コミュニケーションが完了したと考えてしまう。こういうことの繰り返しの結果、現場のコミュニケーションは破綻し、業務遂行に支障をきたす。そういうシステムが、果たして本当にビジネスに必要なのか・・・?

もちろん原因として自分のような「メールを見たくない」*1症候群*2になってしまった人間が単純にダメなんだろう、と否定することもできます。が、そういう人間が居なければ先ほどのような問題も発生しないわけで、それは暗にそういう考え方が世間*3全体には通用しないと言うことを示しているんだと、考えています。


そこで、世間全体に通用するシステムにするためにはどうすればよいのか。電話という媒体はある意味受話器を持っている間相手を拘束できます。これはつまり「その時間相手が自分のために時間を割いていると言うことを保障できる」点でとても優れており、自分主体でアクティブに活動させることができる唯一の道具だと考えています。同様に打ち合わせやミーティングもそうです。
でもそのための時間を割くことができないからメールという仕組みができた。これは便利だからみんなで使ってほしい。その流れはよくわかります。しかしここでメールを使いこなせない人たちは切り捨てるのか。そうではなく、もっと敷居を下げるために、もっと考えたいなと思うわけです。システムというのは、万人が同様に使いこなせるようになってこそ一流なんだろうと。理想論ではありますが。


皆さんはどう思われますか?

*1:決して自分はメールを見ないわけではなく、メール送ったよと一言言ってくれれば、何とかします。わからなければ聞き返します。ただ、重要事項をそのままポンと送られても、見落とす可能性はあります。それがビジネスマンとして問題あろうが無かろうが、それが実情なのです。

*2:というのも言いすぎかな?

*3:ここで言う世間とはコンピュータに慣れた一部の人たちで形成された狭い世界ではなく、それ以外も含めています。