The Internet のあり方・・・情報共有とそのリスク

スクリーンショットの著作権違反でゲーム速報サイト管理者が逮捕というニュースが、Slashdot Japan に掲載されています。どうも雑誌や Web、それから自身が持っているコネを使用し未発売ゲームの情報や画像を集め、それをサイトに掲載する、という行為を行なっていたようです。
情報を不特定多数の人間で共有することは、今日のような The Internet が確立するまでは非常に難しい行為でした。しかし、現状ではそれら情報をデジタル化し、HTTP プロトコルに載せて全世界へ公開する、ということも自由にできます。これにより、それぞれが持ち合わせている、「経験」という貴重な情報を共有する事ができるようになっています。この方も、そういった「経験」を非常にわかりやすい形で共有する、という行為を行なっていたのでしょう。


今、その「経験」を共有するという行為に、実はとんでもない制約がある、ということが明るみに出ているようです。即ち、自分で考えた物事以外の、いわゆる「事実」という経験を伝えると言うことには、様々な制約がある、ということです。
ゲームの画像情報をメディアに公開する、という行為は、その「ゲーム」を知ってもらう上で非常に有用な行為です。有用な行為であるがため、その行為がクリエイターにどれだけ有意義なことであっても、「既成の」メディアが利益を追求できるよう、既成の法律で制限されてしまっているのです。

既成のメディアとは、書物という媒体を使い「事実」を伝えるモノです。この書物、実は作成するには非常にコストがかかるのですが、The Internet が出来上がる前までは、「事実」を唯一的確に伝えることができる、というメリットがあったため、そのコストに見合った利益を上げることができました。しかし、The Internet ができてからというもの、「事実」は誰にでも伝えることができるようになってしまい、その情報価値が失われつつあると言うことが明るみに出てきました。
例えば、対等な立場で The Internet と既成のメディアを対立させれば、情報の伝達速度とその情報を入手するコストにおいて、間違いなく The Internet に軍杯があがるでしょう。先ほどのサイトが多く利用されていた理由は、この二つであると言う点も疑い様がありません。メディアに必要な二大要素が既に満たされているのですから、当然です。


書物は情報化社会の骨組みを支え、技術を共有するという仕事を担ってきました。しかし、現在それが失われつつあるという現状、書物のその役割も終えつつある、というのは、The Internet をお使いの皆様ならうすうす感じ取っているのではありませんでしょうか。
しかし、しかし。書物が持ち、The Internet には無いものがまだあります。それが法律です。今、法律は書物を保護し、The Internet を蔑ろにしています。

このような現状にあり、これから廃れ行くであろう技術と、これから更に発展するであろう技術。それらを正当に評価することがどうしてできるのか。僕はそう感じてなりません。

もちろん、現状の法律は守らなければなりませんし、この記述を見て法律を無視してよいと勘違いするのは、僕としても甚だ迷惑なのでお止めください。。。


# 21:36 追記

以下の記事も参照されたい。