アンケートのすすめ

高添さんといえば、こないだアンケートの書き方について少々腹の中のものを語らせていただきました。
今日はその時の自分の意見を少々記録したいと思います。


自分もコミュニティを運営している上、アンケートなどを収集させていただいております。
つめ切れないほどのコメントを提出していただける方も居らっしゃる一方、すべて「ふつう」やその前後 (どちらかの最大評価ではない何か) で回答する方もいらっしゃいます。

アンケートを集計する上で一番困ってしまうのが、この「ふつう」という評価です。その勉強会やその 1 コーナーがよくも無く、悪くも無くという。ではその人にとって、いったいこの 1 日は何のためにあったのでしょうか? 自分たちの活動はその人の 1 日を「全くの無駄!」にしてしまったのでしょうか。


実はとても目立っちゃうんです、こういうアンケート。そしてこのノーマライズされたアンケート結果とその筆跡から、それらが語る心の奥底を、無理やり予想、というより妄想し続けるのです。だって「アンケート」というからには、その人の意見を知りたいわけですから、この行為は当然なんです。気持ち悪いなんていわないでくださいヨ。

意見があって、「これは良かったから "とても良い" だ」「これはここが悪いから "とても悪い" だ」と記録していただける方からは、とてもたくさんの情報をいただけます。ですからこういった回答をぜひ継続していただければ、ありがたいと思います。
しかし、今まで真ん中につけていた方、ぜひ「今日 1 日はなんだったのか」について今一度考え直してください。そしてできればこんな風に書いて欲しいのです。


時間を無駄にしたと思ったら、ぜひ "とても悪い" へ。
また聞きたいと思ったら、ぜひ "とても良い" へ。


継続する価値の判定は、実はこの 2 つの選択肢しかないのです。
とても悪ければ、その活動は「終了」します。悪いポイントが明らか (= コメントに記載されている) であれば、それが「修正」されるよう行動が起こされます。たとえば担当が替わるとか、内容が変わるとか。
逆にとても良ければ、この活動に対して割り当てられるリソースは増え、より大規模な活動が行えるようになるでしょう。


自分がコミュニティで提供しているものも含めて、アンケートはなぜか 5 段階だったり 10 段階だったりします。でも裏では「良い」「悪い」の 2 段階しか無かったりするのです。


しかし、なんで世間には x 段階評価なんて存在するんでしょうね?